「取れるところから取る」は公平か──金融所得への保険料反映に感じる違和感

日経新聞で「金融所得を税務調書で把握 厚労省、保険料への反映を検討」という記事を読んだ。厚生労働省が、株式配当などの金融所得を医療・介護保険料や窓口負担に反映させる検討を始めたという。読んだ瞬間、またか、と思った。いつもの「取れるところから取ってやろう」という話だ。nikkei+1

きっかけは「公平性」という言葉

記事によれば、現在は確定申告をしなければ金融所得は保険料の算定に反映されない。株式の配当などで高齢者の金融所得が増えているが、確定申告をしなければ所得として算定されず、厚労省は「不公平の是正に取り組む必要がある」との考えを示しているという。税務調書(法定調書)のデータベースを整備して、銀行や証券会社が保有する金融所得の情報を把握しようとしている。x+4

「不公平の是正」。この言葉を見たとき、正直なところ、ひっかかるものがあった。x

一般人は賛成するだろう

おそらく、多くの人はこの施策に賛成するだろう。「年寄りの金持ちが対象だからどんどん取ってやれ」という感情が、SNSやニュースのコメント欄にあふれるはずだ。実際、政府は「支払い能力のある高齢者の負担」を強調し、主に高齢者を対象とした富裕層の負担増加を目指している。nikkei+1

株で儲けている高齢者が、確定申告をしないことで保険料負担を逃れているのは不公平だ。だから、税務調書で把握して負担させるべきだ。そういうロジックは、一見すると筋が通っているように見える。cbnews+1

私も、最初はそう思いかけた。でも、何かが引っかかる。

「取れるところから取る」の繰り返し

この手の話を聞くたびに感じるのは、結局のところ「取れるところから取る」という発想の繰り返しではないか、ということだ。高齢者の金融所得、退職金、相続、不動産……ターゲットは次々と変わるが、構図はいつも同じ。「ここに財源がある」「ここから取ろう」という話。nikkei+1

もちろん、負担能力のある人が応分の負担をすることは必要だ。それ自体を否定するつもりはない。しかし、この「取れるところから取る」という発想が繰り返されるたびに、制度はどんどん複雑になり、把握される情報は増え、個人の資産や取引の透明性がどんどん高まっていく。gemmed.ghc-j+2

「把握する側」と「把握される側」

今回の施策で気になるのは、税務調書のデータベースを整備するという点だ。つまり、銀行や証券会社が持っている個人の金融取引の情報を、国が一元的に把握するということだろう。確定申告をしない人も、その金融所得が把握され、保険料に反映される。wic-net+3

「把握する側」の権限は強化され、「把握される側」の透明性は高まる。この非対称性について、私たちはどこまで意識しているだろうか。

「不公平の是正」という言葉の裏で、私たちの資産や取引の情報が、どんどんデータベース化されていく。それが当たり前のこととして受け入れられていく。

誰が得をして、誰が損をするのか

この施策で負担が増えるのは、主に金融所得のある高齢者だ。若い世代や現役世代は直接的な影響を受けない、と思われている。だから、多くの人は「自分には関係ない」と感じるだろう。news.yahoo+2

しかし、現実にはそうだろうか。後期高齢者医療制度では、現役並み所得を有する高齢者の医療給付費には公費負担がなく、その分は現役世代の支援金による負担となっている。つまり、高齢者の負担を増やすことが、必ずしも現役世代の負担減につながるわけではない構造がある。gemmed.ghc-j

さらに、こうした「取れるところから取る」施策が繰り返されることで、将来的に自分たちもターゲットになる可能性を、どれだけの人が想定しているだろうか。

私が感じる違和感の正体

結局、私が感じている違和感の正体は何なのか。今の時点で言葉にするなら、こういうことだと思う。

「公平性」という言葉を掲げながら、実際には「取りやすいところから取る」ことを繰り返し、そのたびに国民の情報把握の仕組みが強化されていく。そして、多くの人は「自分は関係ない」「金持ちから取るのは当然」と思い、その構造に疑問を持たない。x

この流れに、私はどこか居心地の悪さを感じている。

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