退職してから、毎日の時間の使い方がガラリと変わりました。午前中はAIについて学び、午後はスポーツジムか趣味の時間。そしてある日の午後、大学に足を運び、経済学の専門書を借りてきました。その時、ふと感じたのです。「これまで得られなかった時間が、こんなにも豊かなのか」と。
目次
- 退職前の時間は「余裕」がなかった
- 退職1か月で変わった日々の過ごし方
- なぜ今、経済学を学ぶのか
- 大学図書館との再会
- 「マンキュー マクロ経済学Ⅰ」との出会い
- 一日の流れが教えてくれたこと
- まとめ:文化的な生活とは、選択肢を持つこと
退職前の時間は「余裕」がなかった
退職するまで、私は工学の分野で仕事をしてきました。毎日が与えられたタスクをこなすことで精一杯。朝から晩まで、仕事に追われる生活でした。
「経済学を学びたい」「経済のニュースをもっと深く理解したい」という気持ちは、ずっとどこかにありました。でも、帰宅後に専門書を開く体力も、休日に図書館に行く心の余裕もなかったのです。時間があっても、それは「休息」に費やされるべき時間。そんなふうに自分を納得させていました。
退職1か月で変わった日々の過ごし方
退職して1か月が経ちました。今、私の日常は完全に構造を変えています。
午前中は、AIについて学ぶ時間に充てています。これは退職後に新たに始めたことです。退職前は考えもしなかった「勉強」を、今は意欲的に取り組んでいます。なぜなら、時間があるからではなく、時間を自分で選べるようになったからです。
午後は、スポーツジムに通ったり、趣味の時間にしたりしています。そしてその中の一つとして、先日は大学図書館に足を運びました。
この流れが自然に生まれたことが、私にとって驚きでした。午前中にAIについて学んだ頭で、そのまま午後に図書館へ行く。かつてなら「疲れているから」と帰宅して、ソファに座っていたはずです。でも今は違う。学びたいという気持ちが、行動へと直結している。
なぜ今、経済学を学ぶのか
経済学を学びたいと思ったのは、退職という決断をしたからです。
退職前から、通貨価値の下落やインフレについて考えていました。でも、それは「ニュースで見かけた話」程度の理解に留まっていました。インフレが起きるのはなぜか。過去の経済危機では何が起きたのか。そうした根本的な理解がないまま、漠然とした不安を抱えていたのです。
退職後、その不安は現実へと変わりました。これからの生活は自分たちの資産で支えなければならない。だからこそ、お金のこと、経済のことを、もっと真剣に学ぶ必要があると気づいたのです。
仕事をしていた時代は「将来のお金」を考える余裕がありました。会社が給与をくれるから。でも今は違う。自分たちでお金を守り、増やす知識が必須になったのです。
それが、経済学の専門書を手に取ろうと決めた理由でした。
大学図書館との再会
大学図書館は工学を学んだ時代、何度も足を運んだ図書館に、退職1か月で再び訪れることになりました。
図書館を選んだ理由は、シンプルです。
第一に、専門書がたくさんある。経済学について本気で学ぶなら、大学図書館のような質の高い蔵書が必要です。
第二に、無料である。すべての本が最初から手元にあるわけではないし、読んでみて「これはいらない」と判断することもあるでしょう。図書館なら試行錯誤できます。
第三に、後で欲しいと思ったら購入すればいい。図書館で試してから、本当に必要だと判断した本だけを買う。こうすれば、限られた退職後の資産も有効に使えます。
古い校舎の雰囲気は変わっていません。懐かしさと新鮮さが一緒に蘇ってきました。工学を学んだ時代の自分と、今の自分。同じ図書館にいながら、学ぶ目的はまったく違う。その差が、時間の経過と人生の選択を強く実感させてくれました。
「マンキュー マクロ経済学Ⅰ」との出会い
経済学の本を探していた時、目に止まったのが「マンキュー マクロ経済学Ⅰ」でした。
出版年が2024年と最近だったこと。そして、世界的に著名な本だということが、選ぶ決め手になりました。
経済学についてまったくの初心者である私にとって、「信頼できる入門書」の選択は重要です。著名な本ならば、その理由があるはずです。多くの大学で教科書として使われているということも、質の証だと感じました。
本を手に取ると、1章の序文で、ある一文が目に飛び込んできました。
「読者のこれまでの経済学についての日常的な思考方法はたぶん厳密と言うよりは思い付きにとどまってきただろう。経済学を勉強する目標は、その思考方法を洗練させることである。」
それです。それこそが、私がこの本を求めていた理由でした。
これまで、私は経済ニュースを見ても、自分の感覚で判断していました。「これはインフレだ」「これは不況だ」というように。でも、その背景にある理論や因果関係は、まったく理解していないのです。思い付きで、感覚で判断する。その状態から脱却したい。思考方法そのものを洗練させたい。
この本は、その望みに応えてくれる気がしました。
一日の流れが教えてくれたこと
退職から1か月。今、私は毎日ほぼ同じ流れで時間を過ごしています。
午前中はAIについて学ぶ。頭が冴えている朝の時間を、新しい知識の習得に充てる。その流れで午後へ。スポーツジムで体を動かすか、図書館で本を借りるか、その日の気分で選ぶ。
この流れが生まれたことで、気づいたことがあります。
時間というのは、誰もが平等に持っているわけではない。正確には、時間そのものは平等でも、「その時間をどう使うか」という選択肢は、人によってまったく違う。退職前の私には、その選択肢がほぼゼロでした。与えられた仕事をこなし、帰宅して休息する。その繰り返しで精一杯だったのです。
でも今は違う。
「今日の午後は何をしよう」という問いが、毎日のように生まれます。スポーツジムに行くのか。図書館に行くのか。家で本を読むのか。その選択を自分で決められる。その選択肢の豊かさが、「文化的な生活」という言葉の意味を、今、はっきりと感じさせてくれています。
文化的な生活とは、選択肢を持つこと
「文化的な生活」という言葉は、これまで私にとって、どこか遠い言葉でした。映画を見たり、本を読んだり、美術館に行ったり。そうした「高尚な」活動をすることが、文化的な生活だと思い込んでいました。
でも、今、その言葉の意味は変わりました。
文化的な生活とは、「自分が何を学びたいのか」「自分がどう時間を使いたいのか」という問いに、自分で答えられる状態のことなのだと。
退職前は、その問いを持つことすら許されませんでした。仕事が人生のほぼすべてであり、その中で「自分がやりたいこと」を追求する余裕はなかったのです。
でも退職後、初めてその問いに向き合うことになりました。AIを学びたい。経済学を学びたい。体を動かしたい。そうした「自分の望み」が、選択肢として目の前に広がっているのです。
午前中にAIを学んでから、午後に図書館に向かう。そのシンプルな流れの中に、退職がもたらした本当の価値が隠れていると感じます。
まとめ:新しい時間の使い方から学んだこと
退職して1か月。まだまだ新しい生活に慣れている途中かもしれません。でも、この短い期間で、いくつかの大切なことに気づかせてもらいました。
1.選択肢があることの豊かさ
時間が自分のものになると、その時間の使い方も自分で決められる。その選択肢を持つこと自体が、人生の質を大きく変える。
2.学ぶ意欲は、選択肢から生まれる
退職前は「勉強する時間がない」と思っていました。でも実は、選択肢がなかったから、勉強をする気力が生まれなかったのだと気づきました。今、AIも経済学も、主体的に学びたいと思える環境が、そこにあります。
3.思い付きから思考へ
経済学の専門書の序文にあった言葉が、いまだに心に残っています。これまで私は、感覚や思い付きで判断してきました。でも、思考方法を洗練させることで、より正確に、より自信を持って判断できるようになる。その第一歩が、今、始まっている。
4.退職は終わりではなく、新しい始まり
仕事を辞めることは、喪失のように見えるかもしれません。でも実は、時間という最も大切なリソースを取り戻すことなのです。その時間を何に使うかは、自分たちの手に委ねられている。
5.文化的な生活は、他人の定義ではなく、自分の選択
「文化的な生活」とは何か。それは、本を読むことでも、映画を見ることでも、何か特定の活動をすることでもない。自分の人生に主体的に向き合い、その時間を意識的に選択していくプロセスそのものが、文化的な生活なのだと、今、強く感じています。
もし、あなたが同じように時間に追われる生活をしているなら。もし、退職や人生の転機を考えているなら。その決断がもたらすのは、単なる「休息」ではなく、「自分の人生を取り戻すこと」なのだと、伝えたいのです。
退職して1か月の私は、まだ多くのことを試行錯誤しています。でも、その試行錯誤の時間さえも、今は豊かに感じられます。なぜなら、その時間は自分のものだから。そして、その時間の中で、新しい学び、新しい気づきが、毎日生まれているから。
あなたは、今、どんな時間を過ごしていますか?選択肢を持つことの豊かさを、一度でも感じてみたいと思いませんか?